Mad Man Sutra7. サンサーラ おかわりしたのでヨンサーラ


生まれて死んで 死んで生まれて次から次へ
頭の支配する殆ど無意識に近い夢のようなのこの世をインドの言葉でサンサーラと言う。

さんさーら おかわりしたのでよんさーら 
ごさら ろくさら ななさら やさら

理想、伝統、道徳、宗教、習慣、癖、等々・・
人間の思い込み、錯覚を基準として範囲を限定し、刑務所よりは広い、少しだけ自由の雰囲気を味わえる牢獄に蠢いているのが人類の殆どのようだ。
少しでもその牢獄から出ようとすると、他の囚人達から攻撃を受け、すぐに連れ戻されるか相当な痛い目に遇わされるハメになる。
牢獄から脱出して本当の自由を謳歌できるためには、覚醒された意識と共に大いなる勇気と覚悟が必要だ。

少数の勇気ある変わり者、それ以外はただ無意識に定められた範囲の精神的及び肉体活動を当たり前のように繰り返しては死んでゆく。
自由を携えてこの世に生まれては来るが、一番始めに遭遇する先輩囚人である両親に牢獄へと引き込まれ、そこでのルール、生きるべき道を叩き込まれることになる。
その後も教師や先輩、友人や権力者達、テレビ、新聞、インターネット等々、寄って集ってこの牢獄での生き方を手取り足取り教えてくれることだろう。

他者より抜きん出ろ、さもなければ敗北者となり惨めな一生を送ることと成る。
さあ大変だ!一番先頭を目指さなければならないのだ。
そして、殆どの囚人達はこの”一番”を目指す。
当然一番の席は一つだけであるから、ほとんどは敗者となる運命だ。それではせめて二番になろう・・もちろん二番の席も一つのみ、それなら三番を目指せ、四番よりまだマシだ。何を言っている四番はホームランバッターが座る席だ、お前の出る幕ではないだろう、それなら次は・・。
何が何だかワケの分からない状況が繰り広げられている

欲は必須のアイテムである。ここで言う欲とは貪欲であって、必要以上に求める心のことだ。肉体の”必要”である食欲などとは違う。

今ある自分自身を受け入れずに、何か他の何者かに成りたがる。
偉くなりたいというより偉く見せたい。他者より多くの金を持ちたい。特別な誰かに成りたい。特別な待遇を受けたい。死んでも名前を残したい等々。殆ど他者との比較というものがベースの事柄である。

他者を基準としているので、自然な成り行きとして意識は外側へと向く。内なる奇跡、神秘の存在である自分自身の内奥の核などには当然のことながら焦点を当てようとはしない。

そもそも至福の絶頂にある本来の自分はさておいて、欲望は外側の世界を探し続ける。他者からどの様に見られるかが大いなるテーマである。そして他者より先に金と名誉を手に入れなければならない。
白昼夢が与えたガラクタを死にもの狂いでかき集めるのだ。一生をかけて殆ど全てのエネルギーを注ぎ込み、疲れ果てて、そして死んでゆく。
ガラクタさえ手にすることの叶わなかった者は、その夢を諦め絶望の内に枯れ果てていくのだ。

欲望には限りがないので満足することが無い。次から次へと渇望を作り出す。家を建てたらもっと大きな家だ。金を儲けたらもっと多くの金だ。あれやこれやを渇望し続ける。
欲は満足することが出来ないので、夢を紡ぎ続ける。
疲れ果てて人生の最後を迎る。ガラクタ以外の何物も得るものは無かったが、それさえ置いて死んでゆくのだ。

しかし、その後もその夢は続いていく。それ故にまた生まれてくる。
そして何回も何回も同じことを繰り返す。飽きることもなく繰り返す・・
何回も何回も・・。
それは終わることのない輪廻と呼ばれた人間の業だ。

♪サンサーラ おかわりしたので四サーラ♪
♪五皿 六皿 七皿 八皿♪
♪いくら食えども足りません♪
♪次から次へと食べたいの♪
♪もっとおかわりくださいな♪



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