生と死はるかに見下ろして・・



肉体の
はるかに高く在りて有る
ただただ生命
ここにある


ただただここに在りて有る
生と死はるかに見下ろして
何も変わらぬこの生命


在りて有る
生命は心を眺めおる









「自灯明」Atta dipa



「Atta dipa」by Samosandhtee

仏陀の最後の言葉「自灯明」
「Atta dipa」
仏陀は肉体を離れる間際、弟子のアーナンダに言い残した。
Atta dipa・・自らの仏性を思い起こし、それと共に歩めと・・。

Last word of buddha "Atta dipa".
Remember yourself and your Buddha nature.
Please notice your Buddha nature.....
Go with your own light...!!

https://youtu.be/y1lsfs3ZoiI






Funky Monk Temple




小生のホームページである「Funky Monk Temple」は1998年ごろに開設した。
もう20年くらい前のことだ。

当時はWindowsユーザで、ホームページビルダーを使って作成したものだ。
タイトルは当初「Funny Monk Temple」だったのだが、友人のパルバ氏がFunkyの方が良いよと言われ、このタイトルにしたのを記憶している。

始めた当時はやる気満々で、頻繁に更新していたものだが、時と共に更新回数は激しく減少し、一時は殆ど”ほったらかし”状態だった。

それでもサイトを閉じることがなかったのは、小生のズボラ系性格もさることながら、「観照」や「寺」のページを通じて時々メールを貰ったり、興味を持ったヒトが訪ねてきてくれるというような新しい出会いがあり、「ははあ、こうやってウェブに掲載しておくだけでも意味があるかもしれないなあ」と思って、ダラダラ〜っと今日まで至ってしまったという具合だ。

Funky Monk Templeのようにフレームを使ったサイトは最早ちょ〜時代遅れとなっているが、それに気がついたのも既に10年前位だ。
別にちょ〜時代遅れが悪いとは些かも思わないし、かえって変わり者の小生にはフィットしているようにも感じる。
「ど〜だ、この時代にフレームだぜい!」とサムアップしながらロックンロール的なシャウトをランドマークタワーの屋上からカマシたいというぐらいのものだ。

しかしながら残念なことに、このフレームを使ったサイトは色々と不便なこともあるのだ。特定のページをシェアしようとするとメニューが表示されないのでトップページのリンクを貼って、新画面に表示させるとか・・何言ってるかわからない方も多いかもしれないけど、ともかくイロイロ不便なのだ。

そんなこんなでサイトをリニューアルしてデザインを一新したいものだと思うに至ったのだ。
しかし・・実は今回が初めてではない。
そうだ何度も何度も思ったのだ・・しかし・・・何度も何度もクジケた・・っはは。

何でか?・・億劫なのだ!そう、めっちゃオックウなのです!(億劫って漢字を見ただけで気が遠くなる気がするですな。そうかオックウってこういう漢字だったですな・・億に劫って・・はは、気絶寸前・・)<注>

まず、やたらとページが多い!20年のアカが積もり積もっている・・。
どうやって整理しよ〜か、あ〜でもこ〜でもと考えねばならぬ。うう〜んとこれは削除してこれは残して・・とかやらねばならぬ。
それから小生は10年前からMacユーザになったのでドリームウィーバを使うか、それともWord Pressにした方が便利か・・。色々と考えなければならぬ。

しかし今回はだ。絶対にやるのだ。時間はかかるんだろ〜な。しかしやるのだ。
(語尾に「!」を使わず、「。」にしているところが何ともタヨリないけど)

そうだボクはやるのだ。

ええい、こうやって書いてオオヤケにしてしまえばやらざるを得ないだろう。
退路を断って、背水の陣だ〜。ハイスイノジン〜。
ええい、いいかげんに「!」を使え!(いや、ここじゃなくってさ)

そうだボクはやるのだ。たぶん。




<注>
チナミに「劫」とは古代インドで最長の時間の単位。
仏典にもよく出てくるです。
100年に一度、天女が高い岩山に降りてきて羽衣の裾で頂上を撫で、その摩擦で岩山が消えて無くなるまでの時間が「一劫」というわけだそうで、これだけでも無限になが〜いのですが、これが「億」というわけですので・・はい。
よくこんな単位を考えるもんですな、わけわからん。







India my love !!






ふと想う。
40代に入る頃まで、インドという国にこれほど縁があるとは夢にも思わなかった。
寺に生まれたということがすでに縁なのだと言われればそうなのかもしれないが、瞑想というものに縁ができるまでは特にインドに対する憧れとか興味などはなかったような気がする。

だが今日も印度の南、シバ神の化身と言われる聖山アルナチャラのあるティルバンナマライというところにいる。
裸足で外を歩いたり、ゲストハウスのバスルームで下着をバケツを使って手洗いしている。

アシュラム(道場)での食事は石の床に直で座り、バナナの葉に盛られたカレーやご飯を手掴みで口に運ぶ。
美味しい。愛と献身の香りが漂う素晴らしく優しい味がする。
幸せだ。床に座っている足腰が少し痛くなってもとても幸せだ。

小さな砂利があるところを裸足で歩き、トイレにいく。足の裏が痛い。トイレももちろん裸足。だけど幸せ。
ゴムのサンダルで大通りを歩く。牛糞やゴミのニオイ、そしてホコリと排気ガスの襲来だ。咳き込んでノドが痛い。でも幸せだ。
こんなキタナイところ(失礼! m(_ _)m)にいるのに・・なんてことだ・・幸せだ。

その昔、日本では天竺と呼ばれたこの国。
真理の脈動、ハートの息吹、瞑想の法灯は今も生き生きとリズムを刻み続けている。
うつくしい!ありがたいね!






歓喜の溢る


こころからだの全てから 

涙の落つる雨のよう

歓喜の溢る浄めらる 

今ここに降る祝祭よ

ただ美しく  ただ美しい

至福の降る降る降り注ぐ

金 銀 赤 青 緑 黄 紫 色鮮やかに彩られ

宇宙(そら)に漂ようすべての色の

ひかり織りなす花々踊る

とことわ とことわ ありてある

変わらず いまここ ありてある

夢の迷いを脱け出す遊び

慈悲の幻 朧な宴 きらめき戯れ美しい

これもこよなく美しい



アルナチャラの麓 ラマナアシュラムにて




さまさてぃ・・NO PROBLEM

Samasati(サマサティ)
仏教では正念という和訳をされているこの言葉。
他にも自己想起とか覚醒等という場合もありますが、自分は本来「仏」である。
いつもそれを感じ、思い起こしていなさい・・という美しくありがたい言葉です。

我が師の弟子たちに向けた最後の言葉は
「サマサティ・・覚えていなさい・・あなたがブッダ(目覚めし者)であることを」
でした。なんとありがたいことか・・このサマサティという言葉を思い起こすたびに涙が溢れた当時の思い出がよみがえってきます。

もう20年以上前のこと、初めてインドに行ったとき小生は日本語のできる現地ガイドを手配してデリーやアグラなどを観光していた。
確かデリーの街を歩いていた時のこと。
その数年前からインドのスピリチュアルな世界に興味を持ち始めていた小生はふと、以前に聞いたことのあるこの「サマサティ」という言葉を思い出したのだが、意味がどうも思い出せない。
はて、忘れてしもた。これどういう意味でしたっけ?とそのインド人ガイドに尋ねてみたのでした。

インドの言葉・・インド人なら当然知っているはずだ・・。
これは日本人ならみんな空手や柔道ができるはずだ・・という種類の固定観念なのだと思い知らされることになるのはその数分後のことなのだが、そんなことはつゆ知らずスピリチュアルな何かありがたい意味を聞かされると期待に胸を膨らませている小生の顔は穏やかに微笑んでいた。

「え、さまさてぃ・・?」
意外にもじーっと考え込んでしまったガイド氏・・。
1分くらいの後、ニコニコしながら小生に説明をはじめたのです。
「え〜と、さまさてぃ・・それはですね。ふたつの言葉からできていると思います。えと、ひとつはサモサですね。」
(サモサとはインディアンフード好きなヒトなら誰でもご存じのおやつ。カレー味のポテトや豆を揚げた三角の美味いやつです)

「えと、それからもうひとつはティーです。」(皆さんご存じ、お茶。あえて説明)

「は、はあ」微笑んでいた小生の顔が少しクモッたような気がした。

「よーするにですね、はい、サモサとティーをおやつで一緒に食べましょうという意味です、これは。サモサ食べたらティーを飲む。サモサは少し、もさもさしますからティー飲めばノド乾くのとまります。このふたつはほんとにいいコンビネーションですね・・だからお店ではこのふたつを一緒に注文しましょうという意味です。」

「いやいや〜さすがにそれはチガウでしょ〜。ホントの意味はわからんけど、チガウということだけは判りますで〜。」
小生はココロでつぶやきながら、こわばってきた笑みを隠すようにさらに自然を装って笑顔を作り、そ〜ですかそ〜ですかと2、3回うなずいてみせた。
「そもそも、ティーは英語ですがな〜。」

これ以上突っ込んで聞いても意味がないという歴然とした事実は、小生のココロの内にあった、ありがたい言葉への期待という風船を一瞬にしてしぼませた。
しかし、一生懸命に説明してくれる彼の努力に報いるためにもガッカリした顔を見せるわけにはいかない。
小生は何事もなかったように「今日も良い天気だね〜。」と話題を変えたのでした。















春呼ぶ旋律(しらべ)






春呼ぶ旋律(しらべ)

深い深い奥底の

秘めたる何かが動き出し

人の世の春呼ぶ旋律(しらべ)

時を告ぐよに 奏でる不思議



人伝て聞いた愛の歌

今こそ自然の妙なる声よ

自らを智る こよなき今に

この地の果てまで木霊し響く


長すぎた旅の遥かな時

ただただひたすら待ちわびた

この慈悲の雨の降り注ぐ

まさにこの時 祝祭の時

解き放たれた喜び

いま うたう