India my love !!






ふと想う。
40代に入る頃まで、インドという国にこれほど縁があるとは夢にも思わなかった。
寺に生まれたということがすでに縁なのだと言われればそうなのかもしれないが、瞑想というものに縁ができるまでは特にインドに対する憧れとか興味などはなかったような気がする。

だが今日も印度の南、シバ神の化身と言われる聖山アルナチャラのあるティルバンナマライというところにいる。
裸足で外を歩いたり、ゲストハウスのバスルームで下着をバケツを使って手洗いしている。

アシュラム(道場)での食事は石の床に直で座り、バナナの葉に盛られたカレーやご飯を手掴みで口に運ぶ。
美味しい。愛と献身の香りが漂う素晴らしく優しい味がする。
幸せだ。床に座っている足腰が少し痛くなってもとても幸せだ。

小さな砂利があるところを裸足で歩き、トイレにいく。足の裏が痛い。トイレももちろん裸足。だけど幸せ。
ゴムのサンダルで大通りを歩く。牛糞やゴミのニオイ、そしてホコリと排気ガスの襲来だ。咳き込んでノドが痛い。でも幸せだ。
こんなキタナイところ(失礼! m(_ _)m)にいるのに・・なんてことだ・・幸せだ。

その昔、日本では天竺と呼ばれたこの国。
真理の脈動、ハートの息吹、瞑想の法灯は今も生き生きとリズムを刻み続けている。
うつくしい!ありがたいね!






歓喜の溢る


こころからだの全てから 

涙の落つる雨のよう

歓喜の溢る浄めらる 

今ここに降る祝祭よ

ただ美しく  ただ美しい

至福の降る降る降り注ぐ

金 銀 赤 青 緑 黄 紫 色鮮やかに彩られ

宇宙(そら)に漂ようすべての色の

ひかり織りなす花々踊る

とことわ とことわ ありてある

変わらず いまここ ありてある

夢の迷いを脱け出す遊び

慈悲の幻 朧な宴 きらめき戯れ美しい

これもこよなく美しい



アルナチャラの麓 ラマナアシュラムにて




さまさてぃ・・NO PROBLEM

Samasati(サマサティ)
仏教では正念という和訳をされているこの言葉。
他にも自己想起とか覚醒等という場合もありますが、自分は本来「仏」である。
いつもそれを感じ、思い起こしていなさい・・という美しくありがたい言葉です。

我が師の弟子たちに向けた最後の言葉は
「サマサティ・・覚えていなさい・・あなたがブッダ(目覚めし者)であることを」
でした。なんとありがたいことか・・このサマサティという言葉を思い起こすたびに涙が溢れた当時の思い出がよみがえってきます。

もう20年以上前のこと、初めてインドに行ったとき小生は日本語のできる現地ガイドを手配してデリーやアグラなどを観光していた。
確かデリーの街を歩いていた時のこと。
その数年前からインドのスピリチュアルな世界に興味を持ち始めていた小生はふと、以前に聞いたことのあるこの「サマサティ」という言葉を思い出したのだが、意味がどうも思い出せない。
はて、忘れてしもた。これどういう意味でしたっけ?とそのインド人ガイドに尋ねてみたのでした。

インドの言葉・・インド人なら当然知っているはずだ・・。
これは日本人ならみんな空手や柔道ができるはずだ・・という種類の固定観念なのだと思い知らされることになるのはその数分後のことなのだが、そんなことはつゆ知らずスピリチュアルな何かありがたい意味を聞かされると期待に胸を膨らませている小生の顔は穏やかに微笑んでいた。

「え、さまさてぃ・・?」
意外にもじーっと考え込んでしまったガイド氏・・。
1分くらいの後、ニコニコしながら小生に説明をはじめたのです。
「え〜と、さまさてぃ・・それはですね。ふたつの言葉からできていると思います。えと、ひとつはサモサですね。」
(サモサとはインディアンフード好きなヒトなら誰でもご存じのおやつ。カレー味のポテトや豆を揚げた三角の美味いやつです)

「えと、それからもうひとつはティーです。」(皆さんご存じ、お茶。あえて説明)

「は、はあ」微笑んでいた小生の顔が少しクモッたような気がした。

「よーするにですね、はい、サモサとティーをおやつで一緒に食べましょうという意味です、これは。サモサ食べたらティーを飲む。サモサは少し、もさもさしますからティー飲めばノド乾くのとまります。このふたつはほんとにいいコンビネーションですね・・だからお店ではこのふたつを一緒に注文しましょうという意味です。」

「いやいや〜さすがにそれはチガウでしょ〜。ホントの意味はわからんけど、チガウということだけは判りますで〜。」
小生はココロでつぶやきながら、こわばってきた笑みを隠すようにさらに自然を装って笑顔を作り、そ〜ですかそ〜ですかと2、3回うなずいてみせた。
「そもそも、ティーは英語ですがな〜。」

これ以上突っ込んで聞いても意味がないという歴然とした事実は、小生のココロの内にあった、ありがたい言葉への期待という風船を一瞬にしてしぼませた。
しかし、一生懸命に説明してくれる彼の努力に報いるためにもガッカリした顔を見せるわけにはいかない。
小生は何事もなかったように「今日も良い天気だね〜。」と話題を変えたのでした。















春呼ぶ旋律(しらべ)






春呼ぶ旋律(しらべ)

深い深い奥底の

秘めたる何かが動き出し

人の世の春呼ぶ旋律(しらべ)

時を告ぐよに 奏でる不思議



人伝て聞いた愛の歌

今こそ自然の妙なる声よ

自らを智る こよなき今に

この地の果てまで木霊し響く


長すぎた旅の遥かな時

ただただひたすら待ちわびた

この慈悲の雨の降り注ぐ

まさにこの時 祝祭の時

解き放たれた喜び

いま うたう





もの食べりゃ胃腸自動で働いて・・



もの食べりゃ
胃腸自動で働いて
心臓も動いて血が巡る

ワタシ抜き
勝手に命が働いて
四六時奇跡が戯れる

手の内に
あると思うが目くらまし
夢とガラクタ獲ろうと必死

手の内に
あると思うかこの命
勝手に起こって
動いて消える

手の内に
無いとわかって大はしゃぎ
あとは気楽なホトケが暮らす



オマケ・・

元アイドル
手の内みどりじゃありません
木之内みどりでございます


どこからともなく来ては去り


吾の観る
悲しみ 喜び 空の雲
どこからともなく
来ては去り

銀幕に
映し出された物語
懐かしき人
光に帰る

過去未来
手放す手のひら光差す
白雲来たりて空へ去りゆく


五七五 湧いて出てきて 眠られず


空の中
我が身投げ出す快楽よ
観るもの観られ
溶けて消えゆく


楽しみは
内なる宴に酩酊快楽
沈黙静寂
三昧三昧

自灯明
アミダの商売
あがったり

自灯明
「自」が消え
アミダ
カムバック

隠居した
アミダ出てきて
すぐに消え


短歌だか俳句だか都々逸だか・・
夜目を閉じて寝ようとすると、七五調の言葉がそれこそ噴火するかのようにドカドカビュンビュンと出てくることがあるのです。

五七五とか五七五七七とか七五七五とか・・
七五調のリズムに乗っ取られたかのように、頭やハートや身体が勝手に歌い出すのだ。
ある種のびょ〜きのような感じ・・。止むに止まんのです・・っはは。

最近は、せっかく出てきた言葉でもあるし、忘れちゃ勿体ない気がしてスマホにメモしてるのだが、なにせこちとらは寝ようと思ってベッドに入り部屋の明かりを消して休もうとしているというワケなのでんす。

メモするには闇に親しんだ両眼をそ〜っとウスく開いて、光る画面を眩く見ながら書くのである。
次から次へと五七言葉は湧いてくるんだか降ってくるんだか知らないが、ともかく遠慮なしにドカドカビュンビュンとやってくる。

「今日はもう疲れた・・もうじゅ〜ぶん、はやく寝よ寝よ・・」なんぞと頭脳の一部はつぶやき、数秒間は全体もそれに従い、スマホをベッドの脇に置いて、再び睡眠へと入っていこうとはするのだ・・。

だ、だがしかし、それも束の間、矢継ぎ早に噴出する五七どもの勢いとネバリの継続力に我が頭脳のひ弱な抵抗はいとも容易く赤子の手をヒネるように攻略され、我が思考と身体は、五七マグマどもの噴出に巻き込まれ、それを楽しみ、ワクワク従うことになるのでありました。

せっかく安らぎの闇に帰った両眼は、またもやスマホのビンビンに輝く画面を細目でのぞきメモをとることになる。
何回も何回も・・
五七マグマの噴出が弱まるまでこんなことが繰り返され、ようやく眠ることができるという夜があるというオハナシ。

しかし・・これが楽しいからしょうがない・・のだからしょ〜がない。
夕べ噴出した五七マグマのごく一部をご紹介いたします。 合掌