Mad Man Sutra 5. 驚異の圧倒的信仰



宇宙人の私が感心しているものの一つは、この地球には宗教というものが存在していて殆どの人類がそれを信仰しているという事実だ。

色々な種類のものがある中で少し他の信仰とは形態を異にするものがある。殆どの人類がこれを信じ、日々その教義を実践している宗教というものがあるというのをご存知だろうか?

名称はよく知らないが、ここでは仮に医学絶対教とでも言っておこう。
人間の身体は神秘不可思議なものであるが、どうやらこの信者たちは人類の科学や医学というものが、それをすべて解明し解決しているものと思っているのだろうか。本当に不可解な光景を目にすることが出来る。

何故それほどまでに他人であり、見ず知らずの医者の意見を信頼し、薬や注射、手術や検査の機器などを絶対的に信頼できるのだろう?
実に不思議であり、妙な景色でもあり、首をひねってばかりいたら筋を違えそうである。

どこも体調に異常が無く、すこぶる元気で健康であると思っていたある日、健康診断で異常があると診断され、精密検査の結果「あなたはガンです。」ということになり入院。本人も診断されたものだから自分は病気であると思い込み、やがて確信へと至る。精神は不安になり段々と本物の病人のようになっていく。投薬や放射線治療の末、今や生命力を奪われ本当の病気となってしまった肉体は、最初の健康診断が正しいものであったと証明することになる。
けっこう耳にする話ではある。医者、医療機関の言うことは神の声の如く絶対なのであろう。
医者が経験や知識を元にそれを思い込んで病気だという。患者はそれを聞いて自分は病気なのだと信じ込む。肉体活動の神秘、不可思議なる働きなどは二の次の宇宙的な奇跡がそこにある。

余りある堅固な信仰心とは本当に凄いもので恐ろしいものだとさえ感じるこの脳味噌はやはり多くの人間には到底受け入れがたいのであろうか。一息いれて美味いコーヒーを啜ってみたくなる気分である。

己の身体を一番知っているのはやはり己であるはずだと思う私は、この地上夢世界では珍しい存在なのだろうかと、なけなしのエゴが少し喜んでいて実に可愛い。

宇宙人の私もケガをしたら病院にも行くだろうし、身体の何処かが痛くて、動きがとれなくなるような時は医者のところに行くかも知れない。しかし多分それ以外は行くことはないだろう。

自慢にもならないがこの40年以上、サプリメントは別として薬というものを飲んだことがない。風邪を引いても一切薬を口にしていないのである。
これは本当のことだ。これを他人に話すと信じられないような顔をされることが多い。
中には「医者が怖いんですか?」と真顔で聞かれることもある。並外れて健康なのだと思われることもあるが、私は疲れやすいたちで風邪もよく引くのだ。でも健康診断も受けないし薬も一切飲まない。尿道結石も薬なしで出たし、少し痛かったが親知らずも自然に抜けた。

この身体は神秘そのものであり、毒を浄化する機能がある。それを丸ごと信頼している私はこの医学絶対教の信者には決してなれない身なのだろう。

医学絶対教の信者となっている多くの人間達。何故このような危険とも言うべき勇猛果敢な信心ができるのだろう。これはもしかすると途方もない奇跡のようなものなのかも知れないと考え始めた時、一つの結論のようなものが閃いた。

無意識・・無意識なのだ・・これは無意識というものなのだ・・
まさに阿弥陀仏がオーバースローを振りかぶって超日月光を私のサハスラーラ目がけてど真ん中にストライクを決めてきたような感じである。

上記、阿弥陀仏云々の表現が少しオーバーになってしまったのは、今回の文章は前回までのものより少しマジメな風を装っており、その堅苦しい抑圧を一気に解消せんと無理をしたものと思われる。本当に可愛いマインドであるなあと頭を撫でてやっているところだ。

医療ミスや薬禍のニュースも少なからずあるというのに、そんなことは一向にお構いなしで、病院という聖地に通い医者という神の化身の言うことを信じ切っている。うーむ、物凄い信仰心であり、物凄い求心力の教団であると言えるのかもと思っていたのではあるが。
そうかこれは無意識のなせる大いなる集団的自衛権ならぬ集団的催眠信仰、もしくは集団的夢遊病信仰とも言うべきものなのかも知れないと気がついたのだ。
アミダよ今夜もありがとう。

医者を拝み、薬を拝む。注射を喜び、手術の奇跡に悦楽を見るのだろうか?イスラムやキリストなど及びもしない世界で一番信者の多い宗教であろう。

信者側のことは良く分かってきたような気がするが、本山である医療業界はどんな案配なのだろう?
うーむ、大いに企画し、大いに活動して多くの信者達のニーズに応え、またそのニーズをも造り出し続けているのには感心させられる。
あの手この手で病気への不安を扇動し、些細な肉体現象でも、病名をつけて病気の種類を新たに造り出し続けている。そして薬を飲ませカネを吸い上げ、さらにその薬の副作用によってまた新たな病気をその肉体に作り続けているようにも思えてしまう。

「朝起きた時、辛いと感じることはありませんか?それは病気の始まりです。」うーむ、そのとおりだ。さっそく薬を買わないと病気になってしまうのだ。

不安を煽るのが一番効果的なやり方であると言うことは、保険会社の宣伝が大いに効果を表していることを見ても明らかで、信者をさらに敬虔なる信仰へと焚きつけるにおいて重要な手法である。
「病気になったら、ケガをしたらどうするんです?お金が必要ですよ。」
安心して下さい履いてますよ・・ではなく保険に入りましょう・・という案配である。

医学絶対教の密教義があるということは容易に想像できる。
病気を絶滅させて健康な世界を作りたいなどということは御法度であり戒律を破る破戒行為である。
金のなる樹、経済的収入の絶対的大本、ご本尊である病気を無くしてまで人類を健康にしたいたいなどと考えてはいけないのである。

この宗教団体は上手くいっているのだ。医者や医療機関、製薬会社や医療機器の会社等々、この信仰団体は人間の無意識を操って大いにうまく経営されている。

”人間だものな無意識だものな人間だものな無意識だものな”
・・このようなマントラが聞こえてくるようである。








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