Mad Man Sutra 3.やはり微弱電流に勝るものはない


窓から見える紅葉に尾長鶏がとまってすぐに飛んでいった。

電力会社を変えるつもりなのだが、あからさまなパワーはいつもウンザリすると言う人間の感性は、積もりに積もった埃が、ある程度の容量を超えるとそれなりの存在感を持ち始めるということに大いに関係していると大川隆一郎も言っていたような気がする。

人間にとって宇宙は実に得体の知れないものだ。勿論、人間に自我というものがあるという仮定の上に立っての話ではある。
胸の動きをよく観察してみると右から左に、そして左から右へ電気は行ったり来たりしているのがよくわかる。完璧に自動的に動いているように感じているのも、自我が実在しているという大いなる錯覚の賜物であるという事実は真に愉快であるが、あまりの心地良さに思わず「全世界微弱電流平和音頭」を踊り歌いながらMacbookを頭上に掲げたところを外を通る野良猫に目撃されてしまうことは想定外のことではあった。

それにしてもやはり微弱電流は良い!素晴らしいことだ!あっちでビリビリこっちでビリリという人間本然の美しさが溢れ出ているということは否定のしようがない。もっともこれは醤油の残量があと僅かであると認識した上でなお握り寿司を食べ続けようと突き進む勇気と感性があって初めて楽しめる事柄であるということは言うまでもない。

電気源泉の面目躍如は誰もが歌っているということに相違ないが、曇りの日でも雨の日でもパンナコッタのギャグを惜しげもなく披露するシゲゾウ爺さんには敬服するばかりだ。譬えその脇にアキさんが不在だとしても「いいよ~」という神秘な了解は常に美しくコダマしているに違いない。そうだ間違いないと今では忘れ去られた長井秀和も大いに喜ぶことであろう。

なにものにも替え難いものは空気を清浄にする人のオーラであろう。

スピリチュアルを売り物にすることに抵抗のある人の多くは官能的なダンスがどの様なものなのかを知るべきであるという革命的な意見は、この先色々な意味で重んじられることになると予言者は自信を確信に変えた体験として語っている。

美しいことだ。



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