「ああ、ありがたい・・このままそちらの空(くう)の世界へ連れてって頂いても結構でございます」
座禅をしているうちに、えもいわれぬ至福の状態になった冗甚の前に阿弥陀仏が現れたので申し出た。
「“連れてって頂いても”というのは連れていって頂かなくてもよいということかね?」
「あ、いや、その、あの、そですね、んと、どちらでも、いやどちらかといえば連れてってもらいたいです」
「そもそも私の住まいは極楽浄土であって、空の世界ではない」
「ああ、そう、そうでしたね、そんじゃその極楽浄土に連れてっておくんなさい」
「その前に訊ねるが、その“連れてっておくんなさい”と私に言っているのは誰かね?」
「誰って、そらあもちろんワタクシしかおりませんじゃありませんか」
「ほう、それではそのワタクシというのは誰かね?」
「そらあもちろんワタクシ、冗甚でありますよ、あみださま」
「今、ワタクシと冗甚と二人出てきたがどちらかね?」
「どちらっつったって、両方ともこのオレです」
「ということは、ワタクシと冗甚はオレなのかね?」
「はい、そうです、ワタクシと冗甚はオレです」
「それではワタクシはオレで、冗甚もオレなのかね?」
「あ、はい、ま、そういうことになりますかね」
「ということは、オレというのは二人いるのかな?」
「え?‥んもお、いやだなぁわかってるクセにぃ。オレはオレですよひとりに決まってるじゃありませんかぁ、オレしかいないんだから」
「オレしかいないと申すが、ワタクシと冗甚はどこへいったのだ?」
「あ?え、いやいや、どこにも行きゃぁしませんです、ここにちゃんとおりますです」
「二人とも?」
「はいはいはい、二人じゃありませんが、もちろんでありまっす、ここにおるです、ワタクシも冗甚もおるっすよ」
「オレはどこへいった?」
「あ?・・ああ、そです、オレもいますよもちろん、んだからワタクシと冗甚とオレ、ちゃんとここにいます、見りゃぁわかるでしょぉ・・!」
「というとワタクシと冗甚とオレ、計三人だな?」
「ぶひ、あ、いぃや、んだからぁ、そじゃなくてぇワタクシも冗甚もオレも同じ人間なので一人です。んもぉお、いやだなぁ、あみださまイジワルしちゃあイヤですよ、わかってるクセにぃ、そんなこと聞かなくたってわかりそうなもんですよ~。そもそもなんでもお見通しなんでしょぉ?・・ははあ、わかった!なんだかんだナンクセつけて連れてってくれないつもりなんでしょ?ほとけさまがそんなケチだとは知らなかったですよぉ!んも~なんでダメなんですかぁ?」
「ほほう、もしかして、イライラしてきたかね?何か怒っているような感じがこちらに伝わってくるのだがね。ところで先程までの至福はどうしたのかね?お前は瞑想の中で最高の至福を味わっていたのではないかね、あの極上のエクスタシーはどこへいったのかね?」
「そ、そんなこと言ったってさぁ」
と苛立ってきている感情の勢いが胸のあたりで呟いたが、次の瞬間、内側から突き上げるような強烈な何かに圧倒され絶句してしまった。
「・・・・・・!!」
阿弥陀は冗甚のその様子を慈悲の眼差しで見守っている。
吾に帰った冗甚はあわてて言った。
「あ、うわ、そ、そ、そですね、うわ・・いやぁ、あのその、そうですよね、さっきまで、そう、あみださまがお出ましになるまでは絶好調だったんです、はい、あはは、あ、いや、そ、そ~なんですよ。んもお、そら最高の幸せってんですか、至福っていうんですかね?・・ね、そんなやつが降り注いじゃってですね、いやもうかつてない感じの、なんか、ね、すごいやつが・・、そ~なんです、なにせ誰もいなくなっちゃって・・もうなにもかもが消えちゃって、はい、一切のものから解放されちゃったみたいな、ね、はい、そ~なんですよ、はい。んだからあみださまさえ出てこなかったらね・・あ、そじゃなくて、あはは。あ、いや、その、そういう意味じゃなくてですね、えと、はい、なんでこうなっちゃったんだか、ね、わかんないっつうか、なんつうか、ね・・」
「その通りだ。私さえ出てこなかったらお前は空(くう)の中にいたのだ」
「え?はあ?あらら、あ、い、いや、その・・うぐぐ・・」
「私が連れて行くまでもなくお前は空の世界に寛いでいたのだ。究極の極楽を味わっていた。だが目の前に私が現れた。仏の出現でビックリした上に有り難くなってしまったお前の心は、ある種の達成感と共に揺れ動き、娑婆の煩悩世界に戻ってきたというワケなのだ。ぐふふ」
阿弥陀は吹き出しそうな笑いをようやく押さえながら言った。
「えええぇ~、それじゃなんで出てきたんですかぁ?」
「随分とお前がイイ感じになっていたので、ちょっとイタズラしてみようかなっていうことだ」
「そ、そんなあぁ・・!ええぇ、そんなあああ!ほんとに、もう・・こう言っちゃなんですけどね、イジワルなんですねぇ、ホトケさまのくせにぃ。だってさあ、なんか、もうちょっとでさ、なんかさ、イイ感じだったんですよおお・・」
「そうだな私が現れた時に、そこのホトケ、邪魔だからあっちに行けとかなんとか言えば私もおとなしくどこかに行ったのだ。だが、なんかお前が有り難がるもんだから、なんか、ほら、からかってやろうかなんて思っちゃってさ・・はは」
「ええー!そ、そんな、思っちゃってさ・・はは・・じゃありませんよ!なんかホントめちゃくちゃヒトが・・じゃなくてホトケが悪いですねぇぇぇ!」
冗甚に向かって合掌をしている仏の姿が次第に朧になり中空に去ろうとしていた。
ほとんど消えてなくなるその瞬間、阿弥陀は最後に言った。
「連れて行くとか行かないは、アミダの時に言う言葉・・・・」
語尾の残響が辺りを暫く行き来していたが、次第に小さくなり消えた。
全き静寂だけが残された。