ふと想う。
40代に入る頃まで、インドという国にこれほど縁があるとは夢にも思わなかった。
寺に生まれたということがすでに縁なのだと言われればそうなのかもしれないが、瞑想というものに縁ができるまでは特にインドに対する憧れとか興味などはなかったような気がする。
だが今日も印度の南、シバ神の化身と言われる聖山アルナチャラのあるティルバンナマライというところにいる。
裸足で外を歩いたり、ゲストハウスのバスルームで下着をバケツを使って手洗いしている。
アシュラム(道場)での食事は石の床に直で座り、バナナの葉に盛られたカレーやご飯を手掴みで口に運ぶ。
美味しい。愛と献身の香りが漂う素晴らしく優しい味がする。
幸せだ。床に座っている足腰が少し痛くなってもとても幸せだ。
小さな砂利があるところを裸足で歩き、トイレにいく。足の裏が痛い。トイレももちろん裸足。だけど幸せ。
ゴムのサンダルで大通りを歩く。牛糞やゴミのニオイ、そしてホコリと排気ガスの襲来だ。咳き込んでノドが痛い。でも幸せだ。
こんなキタナイところ(失礼! m(_ _)m)にいるのに・・なんてことだ・・幸せだ。
その昔、日本では天竺と呼ばれたこの国。
真理の脈動、ハートの息吹、瞑想の法灯は今も生き生きとリズムを刻み続けている。
うつくしい!ありがたいね!
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