Mad Man Sutra 5.エゴはどこから来るかしら


それがどうしたのだと言われても、どうもしないとしか言えないのである。
理由などないからだ。ただそうだと言うだけのことってあるじゃないですかあ。それが何か問題でも?と言い返してみたいというのが人情というものであろう。

床に座り左足を曲げ、開脚した右足を右後ろへ伸ばす。左足腿へ上体を預け左の臀部のストレッチをする。”私の人生はもう絶望ですポーズ”と名付けた。
これ”私の人生はもう絶望ですポーズ”って言うんだぜいと自分自身に説明する。「おお、そら知らなかったぞ。それはなかなか良い名前だな。」と答える私。のどかな昼下がり、まことに幸せである。

好みというものがある。何故それが好きなのだろうか?不思議だ。
何故それが好きなのですか?と質問されても答えようがない。
何か理屈をつけて、何々だから好きだと言ったとしてもそれは本質的な答えにはならないという宿命がある。

甘い味がするからと理由を述べたところで本来の理由とはならない。それでは何故甘い味が好きなのかという事になる。自分の舌や脳を始めとする身体が甘いというものを受け入れ”これはいい”と感じるということである。
身体の感覚が合っているというしか言いようのないことなのだ。

音楽や絵が好きだ、これは身体や心の感覚が心地よいと感じているのだろう。でも何故好きなのだ?と問えば「こうなっているからだ」としか言いようのない、「良いと感じる」としか言いようのないことである。

宇宙生命は美しい。

この精神と肉体のシステムもしくはプログラムはこのように活動している。

自動車で言うなら、エンジン、車輪、フレーム、車体等々の部品が組み合ってクルマと呼ばれている。エンジンやフレーム単体ではクルマではない。
人間はと言うと、頭、胴体、手足、中には脳、内蔵、血液等々だ。
これらの部品がうまく調和、組織されてDNAの記述や外界からの刺激などの情報を基にして、この生体コンピュータのプログラムが動いているのだろう。

はてさて、いったいこの「私」はどこにあるのだろう・・・?
左手を指さしてこれは私かと自問しても「うん」とは頷かないのだ。

♪エゴはどこから来るかしら ワタシの尋ねた質問に♪
♪プログラムさんはこう言ったとさ♪
♪まとまりつけるに便利なの ひとくくりに名前をつけて♪
♪これで自分と言うことに これでワタシと言うことに♪ 
♪すればカッコがつくでしょう♪♪



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