荒唐無稽小説 テニス観戦でサトリを得た男のハナシ 伍の巻

テニス観戦でサトリを得た男のハナシ 伍の巻
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老師との衝撃的な出会いから一ヶ月が過ぎようとしていた。
痔恩魔賢老師のインタビュー記事は、予想以上の好評で、発売されたばかりの月刊エンライトメントジャーナル最新号の売れ行きは好調だった。
個人的には、大変な恩恵を授かった希有な体験ではあったのだが、あのような一般的には理解しがたいのではないかと想像されるワケの分からないコトになってしまった取材でもあり、当初は録音されたものをそのまま文章に起こすことをためらった達磨来一郎ではあったが、そうかといって、一般にも受け入れられやすいものに編集や加筆すると言うことは、あの時体験した“美しいもの”に人知の小賢しい不純物を混入して汚してしまうような感じがする。色々と悩んだ末、殆どそのまま文章に起こして掲載することにしたのだった。読者に内容がどの程度伝わったかどうかは些か不明だが、“何か”が伝わったのか、それともこちらの意図しているもの以外の“ナニか”が面白かったのか・・存外の好評を得て、ホッと胸をなで下ろしているところであった。

今日は、壺永千代と共に先日の御礼とインタビュー記事好評の報告を兼ね、一ヶ月ぶりに痔恩魔賢老師の家を訪問していた。
先日同様、玄関から声をかけるとピカピカ頭の雄鳥に案内され、来一郎と千代は例の十畳ほどの和室に通された。
雄鳥が障子を開けると既に老師は寛いだ様子で座り、ニコニコと来訪者を出迎え、雄鳥は老師の横に座った。

「老師さま、こんにちは。先日は大変素晴らしい体験をさせて頂きました、本当にありがとうございました。」
来一郎が挨拶をすると、千代も横でキラキラと眼を輝かせながら神妙な顔をして黙礼をした。

老師は微笑みながら広げた扇子を持った右手を軽く挙げて言った。
「いよ〜っ!どもども、こんちオヒガラもよろしくてなアンバイでやんすな〜、ようこそてなもんでがす。あらら〜旦那、相変わらずいいオトコでやんすな〜、いよっ!この女泣かせ!そしてまたそちらのおじょ〜さんもマスマス女っぷりにミガキがかかっちまって、なんかピカピカしてるってえ感じが、みょ〜に色っぽいでがすよ〜!なんか布団敷きたくなっちまった・・あはは!なんつって・・いやいやジツにめでてえでありんすな。」
相変わらず、タイコモチのような口調である。

一ヶ月ぶりの痔恩魔賢老師・・、その雰囲気は、あの時この部屋で初めて会った時のようにヒタスラ軽く、表面的には低俗な印象さえ受ける。しかし、あのような法悦の体験を経た今、来一郎の眼には覚者の威厳のようなものをその臨在の内側に観ることが出来るような気がしている。ただ先入観のようなものが消えたのか、老師の“在り方”に慣れてきたのかは不明だが、何れにしても“自分”の方が変わったのかもしれないという思いがあった。

あの嵐のような法悦感を味わってから一ヶ月経った今もまだ静寂の余韻が来一郎には残っていた。何とも言えない心地よさが続いてはいた。しかし、あの途轍もない強烈な“無”の体験を思い起こす時、あまりにも目の前の現実とはかけ離れたもののように見えている自分もいたのだった。
あの、めくるめくような美しい法悦体験ではあったが、あれは実際に起こったことだったのか?本当に体験したことだったのか・・?“この世”に戻ってきて普通に仕事をしている今、「一体アレはナンだったのだろう?夢を見ていたのだろうか?」という疑念も次第に出てきているこの頃であった。

そんな来一郎の思いを見て取ったように老師が言った。
「まあ、そんなよなことでありんすね・・。」

「わ、私・・ナニが何だか・・よく解らないのですが、あの時大変な恍惚感を味わいまして、な、なんだか自分が居なくなってしまったような、空中に消えてしまったような・・しかし・・でも・・」
来一郎が、少し興奮した口調で質問めいたことを言い始めたのだが、右手を静かに挙げて、柔らかくそれを静止した。

「いや〜、楽しかったでがすね〜!わはは!なんつーかね、この、瞑想てか、サトリみてえなことの肝心カナメを言うてえのは、べらぼ〜にムズカシイ・・というより無理なことでありやんしてね、っははは〜!それこそ、ソーセージとかのハナシなら、どんなやつがどの位え安くてうめえから、どこそこ行って買うとイイでがすなんてえことはいくらでも話すこたあできる。ですがね〜、こんな種類のこたあ語るなんてえ芸当は逆立ちしたってできねえてえシロモンなんでがすよ、ああた。テニスが面白え、なんてえハナシはイクラでもしゃべっちまうけど、サトリ、光明なんてえハナシはね・・そいつあ、お天道さまあ、明日っから西から登ってくんねえかって、お願えしても、そいつあ土台ムリてえことのようなもんだ・・。」

「でもなんかね、こないだはね、なんか良かった!ホント!いや〜てえしたもんだてなアンバイでがす!サスガに瞑想やらサトリなんてえことについて、日々活動してらっしゃるてえだけのこたぁあるね!アタマでヒネクリ出して、あ〜でもねえ、こ〜でもねえ、スベッたコロンだ・・なんてやってるワケじゃねえてえのが良くワカるね!エライ!アチキがハナシしてたら、リズム付けて調子上げて質問するなんてえワザは、そうそう出来るてえこっちゃねえでがす、わはは!ハンパな経験は積んでねえてえのが隠せねえ!よっ!ニクイよ〜色男!」

「あ、はい、一応、自分も何かしらの体験はしておかないとイケナイと思い、そんなに沢山ではありませんが、基本的なことは機会を捉えて学んで体験をしておりますです。」
「あいあい、そうでがしょ、そうでがしょ!そ〜じゃねえってえと、こないだみたいなことはナカナカ起こらねえでがすよ〜、いよ〜っ、このニルバーナ野郎!」

強烈な老師の語りを“浴びせ”られ質問したい気持ちが小さくなってきた来一郎は、少し顔を赤らめ、はにかんだ表情を浮かべていた。側では、壺永千代が眼をキラキラさせて、老師を見つめている。

「そ〜そ〜、ほんでタイソウ驚えたのはこのお嬢さんでがすよ、おじょ〜さん、ああた、一番先に踊り始めた!あん時ぁ、おおっ!て感じで盛り上がったね〜!シャッターをカシャカシャ・・ってねえ、カメラが楽器になっちまった!イキな調子でナカせてくれやがった〜!またそれでその踊りのキレイなこと、イキなこと!いやホント、シビレちまった!自分てえモンががマッタク消えちまって、ちょいとキザに言わしてもらうてえと、踊り手が消えて踊りだけが残った・・!なんてえ具合だ!っははは。いやいや驚えたってか、ぐあ〜っときたね〜!!」
千代の眼からは再び涙がこぼれ落ちてきた・・。

「おじょ〜さんは、ひょっとしてホンモノてえヤツじゃねえかと思わせてくれるね〜!いや〜ありがてえ!殆どナニも喋らねえてのもニクイしね・・よっオトコ泣かせ!ってか探求者泣かせ!ってか自分泣かせ!エゴ泣かせ!っははは〜!てかヨク泣くね・・。」

「うお〜〜〜ん!うお〜〜〜ん!」
ついに耐えきれず、壺永千代は声を出して泣き始めた。長いこと聞かなかった彼女の声だった。

「そんなワケで、色々しゃべったり、踊ったり歌ったり、ちょいとイソガシかったけど、ちゃんと仕事にゃなったでやんすか?途中から写真なんかワケわかんなくなっちまってるだろ〜し、録音なんぞもしてたみてえだけど、あんなの文章に起こしてど〜すんの?ってな感じでありんすよね・・あはは。」

「はい、老師さまの歌われたというか語って頂いたものを録音し、そのまま文章に起こして、そのまま掲載いたしました。お陰様で読者から好評を頂き、今月号の売れ行きも順調でございます。」

「へーそんなもんでやんすかね?ナニが面白えんですかね?だってメチャクチャでしょ〜あんなもん!っはは、ま、喜んでくれりゃそんなありがてえこたぁねでがすがね。ひょっとしてナニが何だかわからねえてのがウケてるてえこともあるからね、あはは!」
「なあ、雄鳥ちゃん。」痔恩魔賢はこう言うと、横にいるピカピカ頭の方へ顔を向けた。
雄鳥は何も言わず、ただニコニコと微笑んで老師を見ている。

「しかし、このようなことを言うと失礼かも知れませんが、老師さまと雄鳥さんの掛け合いというか、ものすごいコンビネーションというか、殆どお二人は一つに溶け合われたかのような意気の合い方だと、大変に感激感動致しました。老師さまは素晴らしいお弟子さんをお持ちですね。」

こう来一郎が言うと、老師は今までにも増して大きな声で笑った・・。

「わ〜っははは!いやいやいや!っははは〜!やっぱね、あはは〜!」雄鳥も老師と顔を見合わせながら笑っている。

「あはは、急に笑い出しちまって申し訳ねえでがす・・っはは。いやいや、そ〜じゃねえんでげすよ、ああた。この雄鳥ちゃんは弟子なんてえもんじゃね〜でがすよ。」

「あ・・そうなのですか、私はてっきり・・。」
ちょっと驚き、目を丸くした来一郎だった。

「こないだみてえな楽しい一時を一緒に過ごすことが出来た旦那とおじょ〜さんだから、ハナシちまうけどね、あんまり大きな声じゃ言いたくねえんでやんすが・・はは、この雄鳥ちゃんはムカシからの仲間ってか、同じ師を持つ兄弟弟子てなところでやんしてね。このヒトも殆どアチキとおんなじくれえの頃にアチキらのお師匠さんに弟子入りしたてえワケで、ま、言ってみればこの世界の双子みてえなもんでがす。」

「それはそれは、大変失礼をいたしました。雄鳥さんのキビキビと美しい立ち振る舞い、私たちを迎えて下さる時の柔らかな礼儀作法などに密かに感心いたしておりまして、大した優秀なお弟子さんなのだなと勝手に思い込んでおりました。」

「あはは、ほんでその後に出てきたのがこのアチキ。さぞや面食らっちまったでしょ〜な?旦那方。」
来一郎と千代は、少し顔を赤らめてうつむいた。

「っはは、いやいや、なんのなんの、気にすることじゃねでがす、っはは。こっちもその設定で動いておりやすんでね、殆どのヒトが雄鳥ちゃんが弟子だって思い込んでいるってえワケでがすよ、ってか、思い込ませてるてえのがホントのところでやんして、ま、色々あって不本意ながらアチキが表に出るみてえな格好になっちまった・・アチキだってホントはこんな導師みてえなもんはやりたくなかったんでがすよ、ああた。」と言いながら雄鳥の方をチラリと見やる。


意外なハナシの展開に目を見張るばかりの来一郎と千代は、少し身を乗り出して興味津々の体で聞いている。


六の巻へつづく


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